ロシア東欧旅行11日目(2018/7/24)

成田
ヘルシンキ
サンクトペテルブルク
モスクワ
ワルシャワ
クラコフ←今ここ
ブダペスト
ドバイ
羽田

7/23

本日は息子の要望でアウシュビッツへ・ツアーへ。朝7時くらいに城塞の古い門の近くに集合。ホテルから徒歩20分くらいかかるので、6時半にホテルを出発しなくてはいけない。早朝だと治安が大丈夫かなあ、と心配だったけど、6時頃にはすでに人通りがあるし、そもそもクラコフは治安が良さそうな町である。しかし、朝早いツアーは苦手だ…。

ツアー参加者は、我々親子とひとり旅している男性2名だった。小型バスで席が前後になったので彼らと会話できなかったのだけれど、旅好きっぽい人々だったので話しかけてみれば良かった。

2時間弱でアウシュビッツに到着。

入り口でヘッドセットを受け取る。これはガイドの人の話を聞き漏らさないためのもの。自動音声ガイドがあるわけではない。

我々のアウシュビッツ・ツアーのガイドさんは日本語堪能なポーランド人男性。同志社大に1年留学してたんだって。若ハゲでちょっと野暮ったくて、そこが育ちの良さを感じさせる好青年であった。しかし、あまり気がきくタイプでもなく、トイレ休憩とかドリンクを買うタイミングとか、こちらから積極的に要求した方が良い感じ。

有名な門を通過。

団地みたいな感じで同じような建物が並んでいる。戦時中は収容所として使われていたわけだけれど、現在は展示場になっている。


毒ガスが入っていた缶。


皆んなが履いていた靴。なぜ律儀に保管されていたんだろう。


収容された人々が持っていた食器類。


手前の建物には、ナチスの将校らが利用するバーや娯楽室があったそう。鉄条網をはさんだ奥は収容所。つまりここが「愛の嵐(1974)」の現場ということか…。

この有名な線路はアウシュビッツではなく、ビルケナウ。アウシュビッツだけでは収容量が足りないので、近くに作られた大規模な収容所。アウシュビッツからシャトルバスで5分程度で移動できる。

暑い中、けっこう歩き回るので水を携行した方が良い。帽子やサングラスも必須。

アウシュビッツの悲惨さは知識としては知っていたのだが、実際に虐殺の規模を目の当たりにするととても不思議な気がした。こんなに大量の人間(150万人)をわざわざ遠方から運んできて、パニックにならないように綿密にだまして収容して、いうことを聞くように体罰指導して、うまく誘導して殺害して、大量の遺体を人力で焼却して埋めるって、とんでもない重労働!!
その上、個別にゴーモンしたり、いじめたりしてたんだよ。みんな戦争で疲弊しているだろうに、なんでそんなにやり気まんまん元気いっぱいなの??あえて非合理的な苦行をお互いに課さなくても、例えばユダヤ人とか捕虜たちを働かせて、自給自足させた上で厳しく搾取する方がラクだし儲かるじゃん。すごく理不尽だよ。

ヒトラーって、別に王族とか富豪の子供とかでもなく、なんの権力も持っていなかった庶民じゃない。そんな一個人がこれだけの謎の統率力を獲得した、という事が不思議でしかたない。

帰路、ガイドさんにクラコフで食べるべきモノを聞いたらEndziorという店のポーランド風ピザをすすめられた。そこで、ホテルに戻る前にその店へ寄ってみることにした。


「安くてデカい」と聞いていたものの、予想を超えるデカさ。


長さ35センチ、幅15センチ、高さ5センチくらいあるの。1人分ね。
11ズロチだから360円くらい。美味しかった。ポーランドは食べ物のレベル高いと思う。

昨日は旧市街を散歩してみたのだが、どちらかというとこのピザ屋があるユダヤ人街の方がのどかでオシャレでいい雰囲気。


あんまり人も多くないしね。今滞在しているホテルは旧市街とユダヤ人街の中間にあるので、じつは便利な立地かも。


ロシアではほとんど犬を見かけなかったので、犬連れが新鮮に見える。やはりロシアは変な国だったんだな。

次の日を見る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です