「少年の名はジルベール」(竹宮恵子)を読んだ。

「風と木の詩」が好きすぎるので、竹宮恵子先生の自伝を読んだ。
自伝というか萩尾望都と竹宮恵子が共同生活をしていた「大泉サロン」時代の回顧録。これが超感動作であったので、そのあたりのマンガ家が好きな方は必読。というか満身創痍の「創作論」「芸術論」でもあるので、クリエイターさん必読かも。

1950年生まれで生粋のレジスタンスであられる竹宮先生は、学生運動にも興味を抱き、マンガ業を1年間休んで学生運動に参加している。そして「あの学生たちは自分が主張している言葉の意味も分かっていない」「みんなまず実力をつけてから自分が得意な分野で革命を起こすべきだ」「私は少女マンガで革命を起こす」と語る。しかしその道は困難で、既定路線しか認めない出版社に絶望し、ライバル萩尾望都への嫉妬と劣等感に苦しむ。前例のあるものしか認めない組織、男女差別、雇用の不安、といった社会構造も普遍的なものなのだと分かる。しかし、やがて竹宮先生は外的、内的な困難を克服して、ついに「少女マンガで革命を起こす」ことに成功するのだ。

こう書くと暗い話みたいだけど、そんな事は全くなくて、70年代らしい夢いっぱい才気あふれる少女たちの冒険譚である。とくにみんなで45日間のヨーロッパ旅行へ行くくだりはとっても素敵。「この旅行で全ての財産を失ってもいい、今までだってそういう風に生きてきた。見るもの聞くもの全てを自分の財産にする」という竹宮先生のセリフには「これ以上ホレさせないで…」と悶絶。

大泉サロンは教養豊かなお嬢様の増山法恵女史によって成立していたもので、萩尾望都や竹宮恵子のあの哲学性やヨーロッパ趣味は、増山女史の教育による功績がかなり大きい。この本を読んでいると、増山女史がいなければあれらの天才マンガ家たちは誕生しなかったであろう事がよくわかる。しかし、増山本人は常に「なにあのウザいマネージャー」的に見られ、マンガの原案者としてもほとんど名前は記載されていない。しかも大泉サロンにのめりこんだせいで音大受験に挫折し、たぶん「何も専門性のない高卒の一般人」として生きるはめになっている。でも本人は「少女マンガで革命を起こした」カタルシスがあるようなので、爽やかなのだろうか…。こういう影の立役者って色んなクリエイターの背後にいるような気がする。彼らは殉教者だと思う。

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